大学の道とは

 私は二十年ぐらい前に、東北振興研修所の当時理事長であった地主正範先生より、『大学』の本を進呈して頂きました。

 読書十年という言葉通り、16ページを全て暗記しました。『大学』は「修己治人」の学問です。「修己」とは自分を修め、「治人」とは人を治めることであります。



(訳)
天子から庶人に至るまで、ただただ誰も皆自分の身を(善良に)修めることを根本のつとめとする。その本の身を修めることが乱れていながら、その末の家・国家・天下を治めることが達成されるということはない。それは、本来厚かるべきところが薄くて、薄かるべきところが厚いという矛盾したことはありえないからである。このように、身を善良に修めることを根本とすることを人の為すべき物事の本務を知るという。このように、本務を知って行うことこそ、知の極みであるというのである。

(味訳)
 どのような人でも「身を修める」ことが一番大切な事です。「身を修める」とは、自分の「徳性」を育てていくということです。そして、厚くする所とは、身を修めるということです。薄くするという所とは、斉家、治国、平天下を言います。「身を修める」、ここに力を入れないで、斉家、治国、平天下、つまり自分の「夢」や「目標」だけの為に頑張ることは、間違っています。「身を修め」つつ徳性を豊かにし、自分の「夢」と「希望」や「社会」の為に活躍出来る事が、一番良いことだと言っています。


(訳)
@物事の善悪が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)が押し極められて明晰になる。

A知能が押し極められて明晰になってこそ、はじめて意念が誠実になる。

B意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。

C心が正しくなってこそ、はじめて一身が良く修まる。

D一身が良く修まってこそ、はじめて家が和合する。

E家が和合してこそ、はじめて国が良く治まる。

F国が良く治まってこそ、はじめて世界中が平安になる。

(味訳)
 世界を治めるのも、家を和合するのにも、一番大切な事は、自分の道徳的判断が正しく出来るかどうかという事です。そのポイントは、物事の良い事、悪い事を知るという事。

そして、正しい事を行い、悪い事はしないという事。

「極真」は、真(まこと)を極めると書きます。真(まこと)とは、人生の真実、真理を知り、それに従って生きる指針にするという意味です。

「大学」の「誠(まこと)」も、「極真」の「真(まこと)」も同じです。


(訳)
・遠き良き時代の聖王となってその英明な徳を天下にくまなく明らかにしようとした者は、
・それに先だって一国の明君としてその国を安らかに治めた。
・一国を安らかに治めようとした者は、さらにもとに返り、それに先だって一家の長としてその家族をよく和合させた。
・家族をよく和合させようとした者は、さらにそれに先だって自分自身を善良に修めた。
・自分自身を善良に修めようとした者は、さらに先だって自分の心を正しくした。
・自分の心を正しくしようとした者は、さらにそれに先だって自分の意(思い)を誠実にした。
・自分の意を誠実にしようとした者は、もっと根本的にそれに先だって自分の知を極めて明晰にした。
・知を極めて明晰にする方法は、
・物事を正しく受け取る事にあった。

(味訳)
八條目
・平天下(天下を平らかにす)世界、国を平穏に治める。
・治国(国を治む)市町村や会社や学校を治める。
・斉家(家を斉う)その家の人々の心を一つに斉える。
・修身(身を修む)自分自身を修理修正して、常に正しい人間にする。
・正心(心を正しゅうす)意志の発動の主体は心であるが、その心を正しい状態に保つ。
・誠意(意を誠にす)その物に対する意志の発動を誠から発する。
・致知(知を致す)正しい知を以て、正しい態度でその物に対処する。
・格物(物に格る・もしくは物を正す)その物について探求する。

 国を治める事も、家を斉う事も、全ては心を正しく働かせて常識から外れず道徳を大切にし、身を修めるところから出発します。国を治めてからその次に家を斉うのではなく、順々ではなく全て同時進行のままに全てに対して「誠意」をもって処理していく事が最も大切な事です。


(訳)
 物事は、重要度による区別と先後の順序とがあるものである。 その順序をわきまえ、最も重要なものから処理するならば、それでほとんど道を修得したものといってよいのである。

(味訳)
  「物」には本末があります。「物」とは、その存在を言います。その「物」の活動機能を「事」と言います。全ての事には終始があります。終わりは始めの終わりであり、同時に次の始めでもあります。終始というものは、必ず循環します。そして一応本末があります。時間的にはどれを先にするか、先後があります。これを繰り返して発展して行きます。


(訳)
・最高至善の地に踏みとどまるべきことがはっきり分かってこそ、しっかり落ち着くということになり、
・しっかり落ち着いてこそ(物事に動揺しないで)平静であることができ、
・平静であってこそ、安らかになることができ、
・安らかであってこそ、物事を正しく考える事ができ、
・正しく考えてこそ(最高善に止まるという)目標も達成できるのだ。

(味訳)
・稽古で修業である境地に到達すると、人間は段々安定してくる。進歩の向上が安定です。
・到達し、安定して初めて静かな事を得ます。車も安定度の高いエンジンほど静かです。組手の構えもトリックは使いません。
 バタバタ動く人は安定して おらず、強くはないです。
・安定状態において、どっしりとした構えになります。
・静とは、統一であり、純一無雑という事です。よく鍛錬、熟練されているという事です。
 がさがさ、くよくよしてなく肉体と精神が一つになっているという事です。
・安定して人間の内在している本然の力、全能力が発揮されます。
 精神、肉体活動を自由自在に行う事が出来るという事です。


(訳)
 大学で学問の総仕上げとして学ぶべきことは、輝かしい徳を身に付けて、それを輝かせる事であり、民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、こうしていつも最高善の境地に踏み止まることである。

(味訳)
 明徳とは、自分の内側にある今まで発していない可能性です。それは徳性であったり、技能技術であったり、力であったりします。

 そして、人と親しみ物と親しみ一つになっていくという事です。いつでも自分が最高善、至高善にいる修養をする事が出来れば、自分を修め、人と一体になり、真の自分の力を発揮させる事が出来ます。

 その為に、基本稽古の「丹田力」が必要となるのです。



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