Kyokushin Kaikan
TABATA DOJO

■大山総裁語録■

 これは田畑師範が内弟子の時に朝礼で聞いた事や、大山総裁の著作より田畑師範が感銘した事を監修しました。
vol.10
「文武両道」 
 武道は人間の精神を救うためにある。北宋の名臣司馬光は、「修身の要は三。曰く仁、曰く明、曰く武。」仁(人情、思いやり)と明(明度、知恵)と武である。「中庸」にも「知、仁、勇の三つの者は、天下の達徳なり」という一則があり、これが古来より日本武士道の拠り所とされている。
 戦うということを、知的な競争やゲーム的な闘争のみ限定して考えているために、真に身を守るということの必要を現代人は忘失している。そしてこのために、三徳の一つを失い、このために人格的に完成しないでいる。
 武術には、スポーツやゲームではとても到達しえない生死をかけた厳しさがある。生死の境目を前提とした武術修業を行うことによって、人は明らかに、闘争の中での心の持ち方を知り、そこに生死の境があることを知ることによって、大義のために常に死すべき人間の道を、知ることができるのである。
楚子曰く、
「弋を止むるを武と為す」(宣公)
武という字は弋を止めるという意味からなっている。
また、同じ宣公に「武は七徳あり」とあるが、武の七徳とは「左伝」によると、
一、暴を禁ず
二、兵をおさむ
三、大を保つ
四、功を定む
五、民を安んず
六、衆を和らぐ
七、財を豊にす
 武を知らぬことは、社会にとっては破滅を意味し、個人にとっては、自分の生命の可能性をつみとることを意味する。
 そして個人にとっての武も、暴を禁じ、大を保ち、身辺の人々を安んじ、和らげ、生活を豊かにするという徳をもたらす。
 


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